鶉野飛行場の紫電二一型(紫電改)レプリカ見学ツーリング
みなさまいかがお過ごしでしょうか?
更新出ていなかった間のネタを順次記事にさせていただきます。
昨年7月7日に兵庫県加西市の鶉野飛行場跡にて、紫電二一型(紫電改)の実物大レプリカが公開されるということで、ツーリングの目的地に選択して見学してきました。
公開2週間目なので、人も多めでした。
上の写真が格納庫です。
鶉野飛行場と加西市の関連を紹介しています。
これはレプリカの制作工程のようです。
上記は資料写真です。
格納庫2階からの写真です。
右翼側です。
増槽が見えます。
尾翼側からです。
キャノピー
計器類も忠実に再現されているとのことです。
推力式単排気管部分です。
プロペラスピナ
脚部
20mm機関砲部分です。
なにしろ、プラモデルやダイキャストモデルしか見たことが無いので、その質感は相当な物です。
日本国内では、完全な形の物は見ることができず、愛媛県に墜落機の実機がありますが修復されずの展示なので、これは別の味わいがあるように思えます。
完全な形の実機はアメリカスミソニアン博物館にありますので、いつかは見に行ってみたいですね。
この紫電改が有名になったのは、第三四三海軍航空隊通称剣舞台が紫電改にて終戦まで本土の防空任務に当たっていたことがきっかけではないでしょうか。
水上機の川西(現新明和)送り出した海軍機では唯一P51等と渡り合えた機体でした。
日中・日ロから大東亜戦争へとめまぐるしく移り変わる情勢の中において、欧米列強の植民地支配からアジアを開放しようとした日本、そしてハルノートなる絶対に承諾的無い状況に追い込まれ、石油が輸入できなくなって国内備蓄が1ヶ月になった状況下での開戦の選択、今こそGHQのWar Guilt Information Programから目覚めなければならないのでは無いでしょうか。
それでは、またの記事でお会いしましょう。